用語解説

火消しの浅野
江戸時代は非常に火事が多く、267年間で大火が49回、小火も含めると1798回が発生したため、幕府が大名に役として消防担当を任命していた。火消し役はヒーローでもあり、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれたほど。浅野家は火消しに長けており、江戸の市民から非常に人気が高かった。

赤穂藩
播磨国赤穂郡周辺を領有した藩。5万石の中藩。現在の兵庫県赤穂市、相生市近辺。浅野家が統治したことにより、城下町を造営し、塩田開発を奨励・整備し、塩が特産品となった。内匠頭の刃傷事件により浅野家は断絶、別の大名が統治することとなる。

赤穂事件
元禄14(1701)年3月14日、江戸城松の廊下において、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった事に端を発する。内匠頭は即日切腹となったが、喧嘩両成敗が適用されず、吉良には何もお咎めがなかった。このことに浅野家家臣達は反発し、筆頭家老である大石内蔵助を中心に協議するも、籠城や切腹はせず、お家再興を目指し、幕府に城を明け渡すこととなる。だが、結果お家再興の道は閉ざされ、その仇を討つ為に、吉良邸へと討ち入りすることを決める。そして元禄15(1702)年12月14日、大石含む赤穂浪士四十七名が吉良邸に討ち入り、本懐を遂げた。
いわゆる「忠臣蔵」という名称は、この一連の事件を基にした人形浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の通称および、様々な作品群の総称である。

喧嘩両成敗
中世および近世の日本の法原則。喧嘩に際してどちらかが悪いということではなく、どちらとも均しく処罰するというもの。赤穂事件も、本来であればこの法に則り、内匠頭も吉良もどちらも処罰されるはずであった。

取り潰し
江戸時代、謀反や不始末を理由に、幕府が大名の家を断絶させ、領地などを没収した。その数はゆうに100を超えると言われる。
石高
江戸時代、武士の俸給は米で与えられていた。また身分も石高で表されていた。一石は、現在の価値に換算すると9万円ほど。浅野家は5万石だから、半分を年貢として徴収すると米の総収入は22億円ほどになる。ちなみに大石内蔵助の年収は1500石、半分が年貢としても750石(6750万円)。かなりの高給取りである。
江戸時代の武士の位
【大名】石高1万石以上の武家(浅野内匠頭)
【家老】大名の家臣の中で最も位の高い役職(大石内蔵助)
【勘定方】各藩の経理担当(矢頭長助)
【膳番元方】料理、食事、毒見担当(大高源五)
【蔵奉行】米の管理担当(貝賀弥左衛門)
【酒奉行】宴会担当(三村次郎左衛門)
【浜辺奉行】浜辺の塩田を管轄(不破数右衛門)
【馬廻】大名の護衛で、武芸に秀でたものが集められたエリート(菅谷半之丞)
【部屋住み】元服、家督相続前の嫡男、居候(大石松之丞、矢頭右衛門七)
【高家】幕府の儀式や典礼を司る役職(吉良上野介)

割賦金
退職金。
番方・役方
武士の職の分類。
番方は、主君の身辺を守る戦国時代さながらの「いくさ」担当。役方は、御用人や勘定奉行など「経営」担当。
山鹿素行
江戸時代の儒学者。武士の心構えや道徳を唱え、新しい武士道「山鹿流」を完成させた。内匠頭の祖父の時代に、赤穂藩に配流されたため、藩士たちの思想に強く刻まれている。
化粧料
江戸時代、女性が嫁ぐ際の持参金や土地。
討ち入りにあたり、赤穂浪士たちは、内匠頭の妻・瑤泉院の化粧料の一部を原資にした。

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